怖い話や不思議な話が大大大好きな YAYOIです。
今年は桜の開花が早かったようで、東京は今だいぶ満開🌸🌸🌸
近くの浅草寺も連日観光客で大賑わいですよ。
そんなわけで今回は、浅草寺やその近辺にまつわる怖い話を書いていこうと思います。

浅草寺の歴史
浅草寺(せんそうじ)は写真やTVなどで一度は目にしたことがあるであろう超有名な雷門がある浅草のお寺です。
東京都内最古のお寺で、正式には金龍山浅草寺(きんりゅうざんせんそうじ)と言います。
浅草寺は1400年近い歴史をもつ観音霊場だそうですが、 なんと江戸時代中期の浅草寺周辺には行き倒れや自殺者の死体が集まる場所になっていたようです。ひえー😱
当時は死体が発見されると、3日から7日間ほど立札が出されて、引き取り手がいないご遺体は浅草寺が引き取り丁寧に葬ったそうです。
行き倒れた人の多くは旅人や旅の僧で、1770-1771年(明和7-8)頃には、境内で亡くなる行き倒れの数が急増し、また自殺者も多くいたようです。 何があったんだ明和7-8年・・・🙄
浅草寺の怪異
そんな浅草寺の怪異は、奉納された絵馬に描かれた馬が絵から飛び出し、野辺に出て草を食べていたそうですが、絵馬の馬に縄を書き加えたところ、馬が外に出なくなったとか。一休さん的な?😁
『花吹雪隈手廻塵(はなふぶきくまでのちり)』(1863年/文久3)という随筆には、子供が天然痘にかかる前に、毎月8日に浅草寺雷神門(雷門)の雷神の股をくぐらせると、天然痘が重篤化することはないと書かれているそうです。 ※今の雷門は雷神様の股の下をくぐれない仕様になっています。
牛鬼の伝承
他にも『牛鬼』と呼ばれる妖怪が出没したらしいです。🐮👹
牛鬼は鎌倉時代にあらわれたとされ、残忍・獰猛な性格で、毒を吐き田畑を荒らし人を食い殺す恐ろしい妖怪です。
『吾妻鏡(あづまかがみ)』によると1251年(建長3)、牛に似た怪物が突如あらわれ、浅草寺に走り込み4人の僧侶がその毒気にあたって昏倒し、7人の僧侶が即死した。
『新編武蔵風土記稿(しんぺんむさしふうどきこう)』には、建長年間(1249-1256年)に浅草川(今の隅田川)から、牛鬼のような異系の怪物が飛び出し、牛御前に乱入してそのまま姿を消した。
その時に牛鬼が落としていった玉を牛玉として牛御前の社宝にした。とあるそうです。
牛御前というのは、現在の牛嶋神社のこと。
牛嶋神社と呼ばれるようになったのは明治時代からで、江戸時代は『丑御前』と呼ばれていました。
今の牛嶋神社は浅草の仲見世を通り過ぎて言問橋を渡った先にありますが、1923年(昭和7)より以前は長命寺の近くにあったんですって。(※長命寺は桜餅が有名す)
牛嶋神社には、牛にちなみ「撫で牛」という像があります。この像が置かれる以前は牛型の自然石が置かれていたんですって。
また、『喜遊笑覧(きゆうしょうらん)』に、浅草駒形の門前より女の牛鬼があらわれ走り去ったという記事が書かれているようです。
牛鬼の伝承は西日本にも数多く残っているようですが、東京浅草にも牛鬼が好む何かがあったんでしょうね。
今はあんなに賑わっている浅草寺も、はるか昔には行き倒れた人や自殺者の死体が集まり、人を食い殺す獰猛な妖怪が大暴れしていたと思うとちょっと見方が変わってくるかもしれませんね。😏ニヤリ